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目次
 冬のサーカス
パリから月まで
回転木馬 剥製の動物園 クリスマス日記一 クリスマス日記二 冬のサーカス

 遠い間違い
アパルトマンの不思議 欲望の街 文化の違い スポーツのルール エッフェル塔でのトラブル 二つのカフェの話
 教訓いろいろ
クチュール・ショック フランス料理の危機 パリのバーニー ザ・ルーキー

 世界を映し出す機械
引っ越し バルザール・ウォーズ パリのアリス ひとつかみのサクランボ

 思いがけない贈り物
クリスマス日記三 王のように リッツで食事をする天使たち 最後の回転木馬

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 アメリカで2000年秋から2001年初夏に一冊のパリ滞在記がベストセラーになった。
 パリという言葉がかき立てるのはどんなイメージだろう――木漏れ日の差す大通り、歩道のカフェ、それとも街角を曲がるたびに目に入る息を飲むほどに美しい建築物だろうか。古くは芸術の都、恋の都ともてはやされ、フランスかぶれなる言葉もあったが、現在のパリはいったいどう様変わりしているのだろう。
  本書『パリから月まで』(Paris to the Moon )は、パリの差し出す極上のロマンチシズムに惹かれ、家族とともに二十世紀末の五年間をパリで暮らしたアメリカ人のエッセイである。
 一九九五年、パリに滞在してエッセイを書いてくれないかという贅沢な依頼を《ニューヨーカー》から受け、アダム・ゴプニクは家族とともに勇躍パリにやってきた。しかし、憧れの都パリは往年の輝きを失いかけていた。性文化も、料理も、ファッションも、とりわけ七〇年代にパリが世界に誇っていた特異な優位性は薄れつつあった。
 チュイルリー宮殿をそぞろ歩き、地元のブラッスリーで哲学的議論を戦わせ、すみれ色の黄昏をめでながら、著者はフランスの地盤沈下の様子をアメリカと対比させながらくっきりと浮かび上がらせていく。多様な対象物に対する鋭い考察とユーモラスな見解に導かれて、読者は居ながらにしてオートクチュールの舞台裏や、かの有名な二つのカフェ〈ドゥ・マゴ〉と〈フロール〉が社会とともに変貌していった様を知ることができる。パリを見つめるアメリカ人を、そのまたわきから眺める日本人という図式になるわけで、三者比較のおもしろい見方ができそうだ。
 映画にせよ、飛行機にせよ、料理にせよ、世界最初の画期的成功をおさめるのはいつもフランスだったのに、次の飛躍がないと嘆く著者だが、パリに寄せる愛情は依然深く、批判の陰にも温かい視線が感じられる。
 難解な文明時評風の考察には教えられることも多いが、家族がらみのエッセイが断然おもしろいのは、“二十世紀末のフランスに起きた無数の社会的事件はあえて省き、二〇〇〇年までの五年間をパリで暮らした幸運なアメリカ人一家のプライベートな生活にスポットを当てたい”(本文より)という著者の気持ちのなせるわざだろうか。アパルトマン探しの難しさ、クリスマスの電飾、スポーツクラブの不思議などなど、知性とユーモアが織り込まれたエッセイの傑作が楽しめる。(訳者あとがきより)

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●アマゾンUSA から
1995年、ゴプニックはニューヨーカー誌に掲載する「パリジャーナル」を書いてくれないか、という贅沢な仕事を依頼された。そしていま、妻のマーサ、息子のルークと共にパリで過ごした5年の間に書きつづった文章が、掲載されなかったものも含めて、ここに1冊の本となった。自分のことを「ユーモアも感情の機微も解するエッセイスト」と呼ぶ彼が題材にしているのは、パリ名物のロマンスだ。カフェや小さな店、公園にある年代物の回転木馬、そしてそこで起こるささやかだけれども意味深い体験など、パリではごくあたりまえの文化生活に恋をしてしまった、と彼はさらりと言ってのける。だがパリに恋するのは難しくもある。とりわけ、尊大で難解な役人文化とそれに並ぶように存在する新聞界。パリのこのような二面性と、グローバリゼーションに直面して見え始めたフランスの優位性のかげり(現在、経済と同様にオートクチュールや料理や性文化も下り坂である)との間に生じる緊張状態を、ゴプニックは緻密でウィットに富んだエッセイにし、その根底にあるものを浮かび上がらせている。ゼネスト中に感謝祭用の七面鳥を配達してもらおうとしたときのことや、住宅配給の不正に絡んで政府がスキャンダルに揺れている時期にアパート探しで苦労した話に見られるように、著者は、細部を彫りこみながら全体像をくりぬいていく手法を用いている。エッセイにはフランス国内および地元パリからのレポートと、国外に移住した家族の生活模様がかわるがわる登場する。そこでは、「子どもと料理と見て楽しむスポーツ(ショッピングも含む)という、世紀末らしい3つのブルジョワ強迫観念」が強調される。なかには、あるレストラン王による買収に抗議しようと、買い取られた地元のレストランをパリのオートクチュールが「占拠」するという、いまや伝統となっている儀式や、ブラックジーンズに胸をはだけた黒いシルクシャツ、といういでたちの医者の介助で生まれた娘の話のように、まさに「決定的瞬間」をとらえたエピソードもある。ゴプニックは一貫して、ファッショナブルな社交界の端に立つ傍観者というスタンスをとりながら、パリとニューヨークをうまく比較し(「たとえて言うなら、アメリカの電化製品が、みんな車になるのを夢見ているとすれば、フランスの電化製品はみな電話になりたがっているようなもの」)、両者の本質に哲学的な鋭い考察を加えている。本書は、知性と温かさ、そしてチャームが見事にプレンドされたルポルタージュの傑作である。


●著者:アダム・ゴプニク
アメリカ人ジャーナリスト。一九八六年からアメリカの高級誌《ニューヨーカー》で仕事をしているジャーナリストで、エッセイや批評の分野でナショナル・マガジン・アワードなどいくつかの賞を受賞している。カナダ放送協会とも縁が深く、《エンサイクロペディア・ブリタニカ》にも執筆するなど、その活躍の場は広い。
●訳者:宇佐川晶子
1974年立教大学文学部英米文学学科卒。英米文学翻訳家。
訳書に、「憎しみの子ども」(早川書房刊)「世にも不幸な出来事シリーズ:おしおきの寄宿学校」(草思社刊)「キミハ僕ノモノ」(新潮社刊)
「狂った真実」(早川書房刊)他多数。